ら抜き言葉についてこのブログではコメントが未だに入ってくるが午堂登紀雄氏はそのメンタリティを批判的に述べている

ら抜き言葉についてこのブログではコメントが未だに入ってくるが午堂登紀雄氏はそのメンタリティを批判的に述べている

ら抜き言葉の是非についてこのブログではコメントが未だに入ってくる。そのことと関連して面白い書籍を読んだ。『グーグル検索だけでお金持ちになる方法-貧乏人が激怒する2020年のマネー戦略』(午堂登紀雄、光文社)である。スケプティクスに考えよう。

クレジットカードやポイントサイトなどでお得の2重どり

本書は、「ら抜き言葉」について直接書かれているわけではないが、ズバリ、筆者がこのブログで経験したやりとりを批判的に挙げているのだ。

まず、『グーグル検索だけでお金持ちになる方法』の中身を簡単にご紹介しよう。

タイトル通り、GoogleやYahoo!が採用している検索エンジン(グーグル検索)で、日々の生活の消費・購入をより有利に進めるのはもちろん、社会の動向を読んだり、人生設計の柱となるものを見つけたりするという内容である。

タイトルには「お金持ち」と書かれているが、それだけでなく、知識や生き方にも触れているのだ。

たとえば、より安く(もしくは無料)商品を購入するために、「商品名+特典」「モニター 無料」「今回だけタダ」「商品名+激安料」などの検索語句で企業のマーケティング、プロモーションなどを検索する。

まあ、これだけなら著者ほど精緻でなくても、私たちも大なり小なりやっていることだろう。

著者はこれに加えて、それらをクレジットカードやポイントサイト、アフィリエイトサイトなどから購入することで、さらにポイントやキャッシュバックを行う。

それが、どのクレジットカードやポイントサイトなら有利かということも検索で調べる。

まさに重層的に検索を重ねて、そこまでたどりつく。

著者は、ほとんど現金を持たず(つまり現金では物を買わず)、また購入コストはキャッシュやポイントのバックでほとんど回収しているという。

それをつきつめていき、著者はゼロ円で住宅を獲得する、というような“あり得ない”検索があり得ることも紹介している。

こうした日々の家計ベースの「上手な買い物」だけでなく、「国家や企業が考えていることを検索する」ことも行う。

政策や制度から国や官僚の意向を読み取り、それによってばら撒かれる補助金に先行者利益でのっかる壮大な錬金術も著者は検索で行っているのだ。

さらに、米国公認会計士であり経営コンサルタントである著者は、DC(確定拠出年金)、NISA(少額投資非課税制度)など、生涯の生活設計に関わる「お得なノウハウ」を検索から入手する方法も解説している。

いうまでもなく、検索はお金がかからない。

つまり、著者と同じことができるかどうかは、ユーザーの“アタマ”次第なのである。

では、どんな“アタマ”が必要なのか。

結論を先に述べると、このブログで、「ら抜き言葉」につき不毛なコメントをつけたユーザーではダメだと著者は述べている。

多面的・重層的に物事を捉えることができるかどうか

もちろん、著者はこのブログを見ているわけではないだろうし、「ら抜き言葉」とも限定していないが、著者が指摘することは、まさに、このブログの「ら抜き言葉」問題があてはまるのだ。

このブログの「ら抜き言葉」問題を簡単に振り返ろう。

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筆者の長男の幼稚園の担任が、幼稚園と保護者がやりとりする連絡帳において「ら抜き言葉」を使った。

筆者はその返事として、ついでという感じではあったが、言葉を覚えている最中の幼稚園児を相手にする人が「ら抜き言葉」はやめたほうがいいと注意した、という話を書いた。

するとブログは炎上。コメントがひっきりなしに付いた。

もちろん、「ら抜き言葉」を苦々しく思っている人も何割かいいたが、必死になって書き込むのは、「ら抜き言葉」信奉者だった。

「言葉は世によって変わる、お前は古い」とか、「いちいち目くじら立てるな」とか、「これこれこういう理由で『ら抜き言葉』は文法として正しいんだ」といったコメントが続いた。

「はてぶ」がたくさん付けばSEO的にありがたいので、炎上は一向に構わないのだが、ただし、そのコメントは、記事の趣旨を外れた、コメント主たちの「ひとりよがり」だった。

なぜなら、私が述べたかったのは、「ら抜き言葉」の将来性でもなければ、文法的な判断でもないからである。

「国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。」(文化庁サイトより)

かような見解がある以上、面接や作文試験で「ら抜き言葉」を使うことは、不利にはなっても有利にはならないし、幼稚園の先生がそれと両立しないふるまいをするのは適当ではない、という話を書いたに過ぎない。

テレビの番組を見ていても、タレントのコメントや街頭インタビューなどで、「ら抜き言葉」で話しているのに、画面のスーパーには「ら」がついて表示されるのが現実である。

にもかかわらず、何度真意を繰り返し書いても、コメントは全く同じ言い分が続いた。

そこで筆者は、「あんた方の言い分は分かったから、ではどうすれば『ら抜き言葉』が社会に定着して、文化庁・国語審議会が『正しい日本語』として定着したと認めるようになるか、その提案をしてくれないか」と書いたら、コメントはピタッと来なくなった。

なんなの、こいつら、と筆者が思ったのは当然でろあう。

午堂登紀雄氏は、そのコメント主たちに当てはまると思われる、次のような指摘を同書で行っている。

炎上に加担した人たちは、自分と異なる意見をバッシングすることには労を惜しまないのに、前向きな考察にはいっさい労力はかけません。感情的に反発し内容を全否定するだけで、それ以上深くは考えない。つまり思考が浅くなる。だから、そこから進んで解決法を探す発想が出てこない。
要するに、「人は自分の価値観や考え方とは違う主張や感情に揺さぶられたら、思考力も学習能力も低下する」ということ。
逆にいえば、自分の価値観や主義主張はいったん脇に置き、多様な意見を受け入れることができれば、自分の思考領域が広がり、学習能力も上がる、ということです。
その姿勢が、多種多様な検索キーワードを思いつくための1つの素養であり、これこそが、先入観や固定観念から自分を救い出す行為でもあると考えています。
検索長者になるためには、“ありふれた検索”では“ありふれた答え”しか出てこないので、ときにはあり得ない検索ワードで調べる、つまり「キーワード」選びの発想を広げる必要がある。

そのためには、先入観を捨て、自分とは異なる価値観を受け入れること。

ニュースや事象を、多面的に考察できるようにするためである。

つまり、「ら抜き言葉」に執着し、そこに懐疑的・批判的な主張には無原則に襲いかかるも、ではその実現に何か根拠や展望があるかといえば何もない、というより何も考えようとしない低級なふるまいを行っているようでは、午堂登紀雄氏のマネはできないだろうな、と筆者は思う。

午堂登紀雄氏の方法論にのっとって検索強者になるためには、「自分の価値観や主義主張はいったん脇に置き、多様な意見を受け入れることができ」るかどうかが問われているということである。

グーグル検索だけでお金持ちになる方法-貧乏人が激怒する2020年のマネー戦略
グーグル検索だけでお金持ちになる方法-貧乏人が激怒する2020年のマネー戦略

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