小泉純一郎元総理と三男の関係を責める“からめ手”からの解放

肉親の愛憎や離別などは当事者でなければわからない。これは普通に考えればだれでもわかるだろう。ところが我が国の大衆にはそれがわからない人もいるので注意が必要である。小泉純一郎元首相が絶縁していた三男と「和解」したという話が問題になっている。

小泉ファミリーと三男が六本木のレストランで食事

小泉純一郎元首相の「和解」記事が『女性セブン』(3月10日号)に出ている。

時の小泉総理に対する批判には、三男と会わない“冷たい人間性”を問うものもあった。

スケプティクスに考えるとおかしな話だ。

政党のポスターにまで恥知らずにも登場する公人・菅“出しゃばり”伸子夫人への批判ならともかく、プライベートな肉親との複雑な関係まで、さかしらに非難することに筆者は当時から疑問があった。

同誌ではまず、小泉純一郎、孝太郎、進次郎というお馴染みの小泉ファミリーと三男が、六本木のレストランで食事をしたことを報じている。

そして、三男の戸籍が2人と別れてしまったいきさつを説明。

82年の離婚時に前夫人は三男を身ごもっていたが、離婚後、小泉家と前夫人家は「絶縁」状態だった。

つまり、小泉家は三男に会わないし、三男も小泉家の人たちと会えなかったというわけだ。

それが昨年11月、子どもたち三人は再会を果たし、小泉純一郎は政界引退後、孝太郎、進次郎のはからいで三男と再会した。

しかし、長年の絶縁状態から2人はすぐにうち解けることはできなかった。

そこで、この食事会が開かれたという話だ。

「進次郎さんのおかげで、ぎこちなかった純一郎さんとAさんの会話も次第に盛り上がっていったようです。Aさんは、純一郎さんのことを“お父さん”と呼び、純一郎さんは照れくさそうにはにかんでいました。純一郎さんは、照れ屋なのか、Aさんの名前を呼べずに“なー”みたいな感じで呼んでいましたけど」(同誌)

言論活動もひとつの闘いかもしれない。

闘いは、相手の弱い所、つまり“からめ手”を狙うのは常道という意見もある。

その意味で、当時、格差も考慮せず新自由主義を突っ走り、それでもなぜか国民から高い支持をえていた小泉政権の「正体」として、その点を批判的に報じるメディアや書き屋もいた。

もとより、総理大臣は公人中の公人である。

離婚して生き別れた息子のことを取り沙汰されること自体、あり得ることだと筆者は思う。

ただ、そこでいったい何を問うの? ということを考えると、筆者には建設的なものが思い浮かばない。

松尾貴史氏は「冷たい人間」と唾棄した

たとえば、松尾貴史氏は、かつて『東京スポーツ』の連載で、三男と会わない小泉純一郎をそのことだけで裏も取らずに「冷たい人間」であることの根拠にしていた。

そういう問題は、当事者の事情やデリケートな思いなど、第三者に容易に忖度できるものではないだろう。

松尾貴史氏にお尋ねしたいが、たとえば両親が離婚した人にヒアリングでもしたのだろうか。

私は少数だがきいてみた。すると、小泉純一郎氏を非難はしなかった。

むしろ、お互いが別の家庭を作ってしまったから会っても、「この人はよその人なのだ」という寂しさを改めて感じるだけだから、会えばいいってもんじゃない、という回答を得た。

もちろん、同じ立場の人すべてがそう答えるとは限らない。

が、いずれにしても、当事者でなければその気持ちはわからないということがわかった。

同じような境遇にある一般の国民・読者にとって、松尾貴史氏の決めつけは不快に思う人はいると思う。

筆者はこの件、小泉純一郎元首相も三男も和解できてよかったと思う。

それ以外の感想はない。

少なくとも攻撃の材料にしようなどと考えるつもりはないということだ。

それはともかく、昨今の菅直人総理の、責任転嫁と相手への攻撃しか考えていないきたない低次元な答弁を聞いていると、愚直でも原理原則に則った正々堂々とした論陣をはりたいものだと思うようになった。

その意味では、菅直人は総理としてはロクデナシだが、筆者個人にとって反面教師にはなっているといえる。

菅直人の「空きカン」ぶりを明らかにしているのは、平野貞夫著の『日本一新』である。

同書では、筆者が、小沢一郎氏の懐刀と云われた平野貞夫氏に、いろいろ話を伺っている。

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日本一新―私たちの国が危ない!
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