ニュースはその字面だけではわからないことがある。かといって、何の根拠もないのに思い込みだけでそこを決めつけては真相には迫れない。当たり前の話だが、実際に私たちは報道に対してその分別をつねにわきまえているといえるだろうか。今回はそういう話だ。
数行で結論を出したがる大衆
インターネットの時代は、情報が量も質もスピードもこれまでとは桁違いに私たちに届く。
昔だったらこんなのニュースにもならなかっただろうに、というようなことも聞こえてくる。
それは本来はいいことである。
ただ、受け取る側次第だが……
この事件、「心肺停止」だったお子さんは結局なくなったようだ。
「16日午後0時半ごろ、兵庫県川西市平野の能勢電鉄妙見線の踏切で、同市東多田、小関廉太郎ちゃん(2)が川西能勢口発妙見口行き普通電車にはねられ、搬送先の病院で死亡した。川西署は母親の裕子さん(37)が目を離した隙に誤って踏切に入ったとみて調べている。このニュースについて、ヤフーニュースのコメント欄や2ちゃんねるなどウエブ掲示板では、いろいろコメントが書かれた。
川西署によると、2人は踏切から約100メートルの寺で、他の家族らと子育てサークルに参加。親らは正午すぎから昼食の片付けをし、子どもたちは境内などで遊んでいた。
裕子さんは事故の数分前に廉太郎ちゃんと別の女児の姿が見えないことに気付き、付近を捜した。女児は踏切の近くで見つかった。http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/297483
いわく
「目を離した親が悪い」
「母親サークルなんて糞」……
わずかな文字数のニュースで、どうしてそこまで言い切れるのだろうか。
以前筆者の体験も書いたが、マスコミの事件報道というのは、かなりテキトーなのだ。
なのに、記者のいいかげんな短い作文記事の片言節句にあつくなり
ああでもないこうでもないと、さかしらな批評が書き連ねられる。
で、誰も現場に取材したわけではない……
そんな論評になんの意味があるのか。
大衆よ、いいかげんにしろよ。
今回事件が起こった原因について、冒頭に書いたように
子供から目を離したのが悪い
母親サークルなんて母親のさぼり場で子供に利益がない
なんて意見があるが、それは事故があったから、結果としてそう言ってるだけではないか。
たとえば、の話
もし発達障害だったら?
もし、今回のお子さんが、自閉症や多動性障害だったらどうなんだろうう。
それでも、親が目を離したからとか、しつけがどうとかいうネットの有象無象の論評に意味はあるのか。
自閉症はしばしば、というか自閉症ではなくとも、最近のお子さんには睡眠障害というのが結構深刻な問題になっていて、夜中ずっと起きているとか……
そうすると、親も寝不足になってしまう。
寝不足が続いて、一瞬子供から目を離してしまった。
そしてお子さんは……
あくまで、たとえば、の話だが、そういうこともありうる年頃だ。
だから、事情もろくに知らずに責め立てる人たちの気持ちが理解できない。
いずれにしても、ニュースではそのへんは報じない。
たとえ多動であったとしても、たぶん報じないだろう。
個人情報で隠すと言うより、そもそも多動性障害の「重さ」を知ってる記者自体が少ないとも思われる。
でもそうであったとしても、私ははどなたかと違い、「(記者が)理系じゃないからだめなんだ」とは書かないが。
だって、そんなことをいっていたら、記者は学位をいくつももっていないとつとまらない。
要するに、いかなる書き物であれ、一著者の視点による文章で、すべてを論じようと言うのが間違いなのだ。
ましてや、ネットのニュースというのは、もともと紙媒体用の記事を、さらに編集されたものである。
新聞の論説記事だってたいした長さではない。
しょせんメディアの報道は、その真実のほんの一面を知らせているにすぎない。
論評するほどその件に関心があるのなら、自分でもっと調べてからにしたらどうなの、と思う。
大衆よ、話題にしたかったら自分で調べろ。
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