「水素水」をめぐる科学と価値とニセ科学のハザマ

「水素水」をめぐる科学と価値とニセ科学のハザマ

「水素水」が昨今話題になっている。結論から述べると活性水素なるものは科学的に承認されていない疑似科学。科学的根拠があるように喧伝するのならニセ科学である。しかし、だから科学的でないものは全て否定すべきかというとそう単純ではないのだ。

科学は真偽の答えをだすものである。

しかし、人間の価値観や生活というのはそういうものではない。

それが今回言いたいことである。

スケプティクス(懐疑者)の立場として述べよう

今回は藤原紀香

今回の「水素水」ブームで、話題になっているのは、藤原紀香である。(画像はGoogle検索画面より)

藤原紀香
Google検索画面より

藤原紀香が「水素水」にハマり、水素水を使った美容法をブログで紹介したり、公式セレクトショップ「紀香バディ!コム」で、水素水の関連商品まで販売したりしているというのだ。

しかも、ブログを見る限り、藤原紀香は、このマーメイド水素バブルバスを芸能人仲間に配り歩いているとも書かれている。

藤原紀香は、熊本地震では、「火の国の神様」と「寝てない」で大炎上したばかりである。

悪い人ではないということかもしれないが、ちょっと懲りないイタイところがある人か。

それとも、そういうキャラクターを装っているのなら、相当なセルフプロデュースである。

さて、どちらだろう。

それはともかくとして、今回も、Web掲示板ではスレッドが大量に立って叩かれた。

水素水に言われる効能は科学的に立証されていない

改めて述べるが、水素水に言われる効能は科学的に立証されていない。

国民生活センターは2016年3月10日に、水素水生成器がうたう活性酸素の抑制効果について、「広告中で示された数値に惑わされないようにしましょう」と注意を促しているから、それは社会的にはっきりしている。

しかも、藤原紀香は芸能人であり、どうやらビジネスにも使っている、いわば広告塔である。

科学的に立証されていないものの宣伝については、慎重であるべきだ。

まあ、別の見方をすれば、そのような危険な仕事をする藤原紀香は、本気で水素水にのめり込んでいるということだろう。

藤原紀香自身が、自分の価値観や、生活に役立てるために水素水を使う事自体は、とやかくいうつもりはない。

Web掲示板では、そこまで批判的言及をするものもあるが、科学的でないものを、全面的に否定する意見には賛成出来ない。

オカルト、超常現象、ニセ科学などを批判する人の中には、それこそ雑誌に載っている占いコーナーすらも絶滅することを願っている人がいるようだが、それは違うだろうと思う。

人間は、科学的なことだけで生活しているわけではないし、むしろ、非科学なことに助けられている場合だって少なくないからだ。

非合理なものが役に立つこともある

Youtubeにある動画をひとつご紹介したい。

ヒーローゆうきこと山際右記氏の動画である。

アフィリエイターとしてのプロモーション活動のようだが、動画の内容は、具体的なアフィリエイトのやり方だけではなく、生き方、考え方などを語っている。

その中で、「お祈りする人としない人の違い」という動画があった。

「お祈りする人」と「お祈りしない人」では、お祈りする人のほうが成功する、という話である。

まあ、スケプティクスなこのブログの閲覧者は、トンデモ動画だと思うだろう。

私も思った。

だが、中身を一通り観て、そうともいえないのではないかと思った。

ヒーローゆうき氏はこう述べている。

叶えたいなあという願いがあったときに、じゃあお参りしようかな、と言ってお参りしに行く人がいる一方で、「いや、そんなお参りしたって意味ないよ」とか、「行くだけ無駄無駄」という人いるじゃないですか。
その両者、どっちが成功しやすいですかってなったとき、やっぱりお参り行く人の方が、成功しやすいですよね。なんでかって言うと、別にお参りする、お祈りするとそのパワーがどうのこうの、とかそういうんじゃないですよ。
そういう神秘的な力が働いてどうのとか、そんなんじゃなくて、とりあえず、お祈りするとご利益があるかもしれない。だったら、やってみたほうがいいじゃんと。
ちょっとでも可能性があったら、それを信じてやる人。行動する人ですね。

私なりに翻訳しよう。

ひとつは、「お祈りする」ことが、自分の願いについて、他力本願としてではなく自分の決意表明になっており、「神様」はそのためのツールになっているということである。

『知っておきたい日本の神様』(武光誠著、角川学芸出版/角川書店)という本には、こう書かれている。

「人間は神社に参拝して、願いごとを唱えることによって、その願望を実現するための努力をはじめるのである」

どういうことか。

参拝というのは、神に何かをしてくれと頼むようでいて、実はそうではない。

自分自身の心に、願い事を整理して、がんばりを誓う行為になっている。

著者はこうも書いている。

「神様とは、私たちがもっている能力を最大限に引き出してくれる存在である」

つまり、神とは信仰の有無にかかわらず、個々人の心に存在する観念であり、自身を信じる最大の拠り所ということである。

もうひとつは、その人の本気度のリトマス試験紙になるという意味である。

「お祈りすること」自体に合理的なパワーなどなくても、それを行って「よかった」という人がこの世にいるのなら、その理由や科学的な真偽がどうであろうが、とりあえず成功者の真似をしてみよう。

何が何でもという必死な気持ちがあるのなら、そうなるはずである。

参拝やお祈りは、まさにそのリトマス試験紙というわけである。

本当に切羽詰まった時に科学は関係ない

その後者については、私は自分の体験上、よくわかるのだ。

私の長男が、5年前に火災で一酸化炭素中毒となり、JCS300の深昏睡を続けた。

なんとか覚醒したかったが、国立病院のエリート医師が何を処置しても通用しなかった。

そんな時、脳卒中によって遷延性意識障害(植物症)になってしまった家族を介護する方のブログに書かれていた、耳たぶと足の親指のあるツボをもむという民間療法に、わらにもすがるつもりでチャレンジした。

すると、それまで何をしても昏睡状態だった長男が覚醒した。

ニセ科学否定派を気取る諸君は、どうせ、たまたま民間療法を施術した時期と、覚醒する時期が重なったに違いない、と言い張るだろう

まあそうかもしれない。

そもそも、それをもって西洋医学否定、なんてことは言うつもりもないし。

ただ、当事者は、別に学術論文を書くわけではないので、学問的な真相などは二の次で、「成功談」にとびつくという話である。

また、とびついたとして、誰がそれを「トンデモ」と非難できるだろう。

ニセ科学否定派を気取る諸君が、同じ状態に陥っても、「非科学なことはやらない」などとふんぞり返っているうちは、いかなる可能性もチャレンジできず、よって自己実現も達成できない。

それが、科学的で立派な態度なのか。

そんな立派さよりも、なりふり構わず何でも試す方が、人として自然である。

結論

繰り返すが、水素水に科学的な根拠はなく、また藤原紀香は広告塔としての責任を自覚すべきである。

だからといって、非科学なものはこの世から消えるべきとも思わない。

むしろ、個々の心のありようにおいて、それは、科学を「絶対」とすることには無理がある。

科学と価値をバランスよく保てるような健全な人格でありたい。

知っておきたい日本の神様 (角川文庫ソフィア)

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  • 発売日: 2005/11/25
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