「つぶやき」(ツイッター)をいかなる価値でとらえるか

ツイッター
高岡蒼甫の「韓流批判発言」がネットの話題をさらい、お台場でデモまで行われたのは驚いた。8月7日、お台場に2500人(主催者発表)が集結して「韓流やめろ」の声を上げたという。その前には、北海道にあるホテルの従業員が、櫻井翔の宿泊した部屋の様子を暴露して話題になった。チューハイやタバコの吸殻が写った画像をアップしている。ファンの間で騒然となり、ジャニーズ事務所ではマネージャーの部屋と否定した。

モラルのないつぶやきという点では、サッカー元日本代表の稲本潤一とモデルの田中美保の密会、なでしこジャパンの熊谷の「合コン」、アディダスの店員による日本代表候補FWハーフナー・マイクの悪口など、連鎖反応のようにトラブルは続いている。

一度こうしたつぶやきがでると、自分もやってみたいという功名心がはたらいたり、他の者のモラルもゆるくなったりして連鎖反応状態になるのではないか。個人情報に神経質な現代は、逆にそれに反したいという人間心理もはたらきやすいのかもしれない。

櫻井翔のケースでは、「さわやかアイドルのイメージが崩れる」と騒いだが、そういう騒ぎ方であるなら筆者には理解できない。

櫻井翔がヘビースモーカーであることはオリキにとって「今更」の話だし、ファンでなければどうでもいいことだろう。

いい大人が、焼き鳥でチューハイぐらい飲んだっていいではないか。仕事のストレスでちょっと一杯やりたいが、有名人だから店で飲んでも気を使う。だから部屋で飲んだ。いったい何が悪いというのか。

良くも悪くも、スターが夢を売る銀幕全盛の時代ではない。誰でも発信者になれるインターネットの時代ならこういうことは防げない。また、頭から「防ぐ」ことが正しい方法なのはむずかしい問題だ。

こういう場合、それが明らかに法律に反する行為ならその限りにおいて法律の問題として対処を議論し、「モラル」については、人々の価値観にゆだねてもいいのではないだろうか。

「つぶやき」が政権を倒すこともあるだろうし、大企業の闇を暴露することだって期待できる。大上段に構えた話でなくとも、私的なつぶやきが他の人の返信やリツイートによってそうした大きな成果につながってくることもあるかもしれない。

ただ、「つぶやき」はしょせんつぶやきに過ぎないことも忘れてはならない。世の中の真相や本音を、140字で語れるはずがない。いや、より厳しく言えば文字数の問題ではない。

ツイッターにしろブログにしろテレビ番組にしろ、それが事実と相反していなかったとしても、表現されているのはしょせん全体の中の一面でしかない。

だが、人間には良くも悪くも想像力があり類推ができるから、つい勝手に「一を聞いて十を決め付ける」ところがある。

真実に接近するには、そこからさらなる調査や論考が必要だが、「論考」の方向ではなく、「一面」そのものをいじり、遊ぶようなやりとりが目的化しているのではないだろうか。今回、「韓流批判発言」でビートたけしはこう述べている。

「ツイッターっていえば、高岡蒼甫(29)ってのが韓流ばかり流すフジテレビを見ないって、批判したって。韓流ばかり放送するったって、それである程度、視聴率取るんだから、しょうがないよな。
 文句言ってる人は、フジテレビの株を持っているわけでもないでしょ。有料テレビなわけでもないし。いやなら見なきゃいいじゃねーかってだけだけどな。他にたくさんチャンネルもあるんだし」(「東京スポーツ」八月十六日付)

「いやなら見なきゃいいじゃねーか」という文言だけを取り出してネットは祭り状態になった。が、たけしはそれだけでなく、こうも述べている。「インターネットひとつでみんな動き出すじゃん。そういうの怖いな。でも、そういうのに乗せられて動くのって原始的だけどな」

要するにたけしは、ひとつの情報(文言)を近視眼的に追っかけまわすツイッターやネット掲示板の方法論自体を批判しているのだ。

ネットに影響を受けやすい大衆には示唆にとんだ指摘だと思う。一見、自由で多様で無原則なように見えるネットの発言も、ちょっとしたきっかけで「祭り」「炎上」という言論の集団リンチ、集団ガス抜きに流れを整える。

それはまさに、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのふるまいにほかならない。

げんに、ネットの盛り上がり方は結局「嫌韓流」かそうでないかという価値観の違いをぶつけ合うことが主な流れであり、それは高岡の「問題提起」の字面そのまんまである。

そこから踏み込んでメディアの「偏向」「スポンサー第一主義」などの問題や構造に踏み込まなければ、つぶやきの真の公益性を評価することはではないのではないか。

つぶやきを裏も取らずに全国ニュースにしたマスコミ

「つぶやき」については、5月の筆者宅火災の時にも、嫌な経験をした。

警察官が、火災当日から翌日の現場検証にかけて、「放火」「漏電」「子供の火遊び」など、一般的に考えられる出火原因を述べると、ブルジョアマスコミは根拠を積み重ねることなく、それをあたかも真相であるかのようにそのつど全国に垂れ流してくれた。

つまり、仮説のひとつひとつを文字通りつぶやいただけのものがいちいちニュースになったのである。

それがヤフーなどネットのニュースとして公開されると、その字面だけでわかった気になった連中が、ピントはずれの論評をそのつど書き殴り、火災でトコトンダメージ家を負った我が家をさらに傷つけた。

ネットの情報がすべてデタラメということではない。しかし、真実の一面しか表現していないのだから、エラソーに論評したかったら、より真実に肉薄してからにしろといいたい。

ちなみに「真相」だが、妻が救出されて心肺停止しているさなか、警察は放心状態の筆者に対し、妻の様態が回復したら話を聞くとしっかり「アポ」をとっていった。

その後、たしかに警察は救急病棟で筆談しかできない妻に事情聴取を求めてきたが、担当医が断ったらそれっきりになった。

だが、消防署に火災の通報をしたのは実は妻自身である。

現在社会復帰して生活している妻に話を聞くのは警察として欠くべからざる手続きであろう。

できた書面に最終的にサインする筆者にも、今現在連絡すら来ていない。任意で書面を作成する消防署の方はすでに同じ手続きが完了している。

警察はこの件で、当事者に事情を聞いて結論を出すことを諦めたらしい。火災当日と翌日に報じた、ブルジョアマスコミのセンセーショナルなニュースはいったい何なのか。

つぶやきで完結している限り真実にはたどり着けないのである。

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