リスク評価とリスク管理についてスケプティクスに書いてみる。中西準子氏はリスク管理の専門家だが、もう一人、日本ダウン症協会(JDS)常務、江上尚志氏今回は登場する。リスク管理とダウン症とはどんなつながりかという話ではないがお読みいただきたい。
責任を負わなくていい審議会制度という曖昧な組織
本日付メルマガで、以下を配信した
(タイトル)
民主党で大丈夫? という意味ではないと思うが……
(本文)
内閣府食品安全委員会の下に設置されたプリオン専門調査会の座長であった科学者を、食品安全委員会委員に推す人事が民主党などによって否決された。
科学者はそれについて怒っている。
日本学術会議では、「リスク評価者である食品安全委員会が、データ不足のために科学的評価は困難であることを承知しつつも、食用牛肉のリスクを評価したとして非難された」「これはリスク評価とリスク管理の違いを十分に理解していないために起こった誤り」としている。
この点については、科学者の主張に耳を傾けながらも、もうひとつ大きな議論をすべき契機ではないかと思う。
「違いを十分に理解していない」からではなく、もともと科学者の行政への絡み方が「評価」か「管理」か曖昧であり、そしてその曖昧なものに科学者自身が協力してきた、という我が国の科学者たちに対するしっぺ返しという視点をもってはどうだろうか。
我が国は、政治家も学者も責任を負わなくていい、審議会制度という実に曖昧な組織をさまざまな政策遂行の口実に使ってきた。科学者もいかなる意図や自覚であれ、それに協力してきたのだ。
ちなみに、スケプティクスを標榜する科学者で、そうした審議会制度の無責任さや科学者の倫理・役割(できること・できないこと)について声を上げていた者は、筆者が知る限り池内了氏だけである。
ところで、筆者はこの件を新聞等で知ったが、自分の考えをまとめ、メルマガやブログで伝えようという気がなかった。
出来事を軽視したのではなく、何となくぼんやりしていてスルーしてしまった。
本当なら、このような「事件」に対して、「普通の人」として意見を述べるためのメルマガやブログなのに……。まあ、人間はまちがいうるものだからこういうことはある(苦笑)
改めてこのことを振り返るきっかけになったのは、日本ダウン症協会(JDS)の常務、江上尚志氏のメルマガ「方円の器」でこの問題について書かれていたからだ。
「リスク管理」を強制する?
江上尚志氏は、科学者でも食品行政の関係者でもジャーナリストでもない。
しかし、中西準子のサイトにも関心を持っていた。
中西準子氏は、リスク管理や一部のスケプティクスな問題に実績のある学者だが、一般的な有名人ではないだろう。
ネットは思わぬ「門外漢」がのメルマガから教わることもある。だから世の中は面白い。
物理学帝国主義の”お武家様”たちも、非物理学者をコバカにせず、人の話に謙虚に耳を傾けた方がいいだろう。
※ちなみに、江上尚志氏のメルマガ「方円の器」は「まぐまぐ」などを使わない独自配信で、直接申し込まないと購読できない。
興味がある方は、自分でクグッて欲しい。
そういえば、以前、科学知識だけを強調する疑似科学批判を行う筆者に、こんな意見を寄せてくれた人がいる。
オカルトの種明かしばかりで、どうして社会に疑似科学がはびころか、どうしたら騙されないようにするかなどの意見がないのはおかしいというのは、「リスク評価」屋の科学者に、「リスク管理」を強制するようなもので間違っている……と。
それに対して、いや違うんですよ、と筆者は答えた。
まず、ジャパンスケプティクスは「社会性」の旗を立てており、もともと「リスク管理」を仕事の一つと宣言していること。げんにそうした発言は過去にいくつもあること。
「リスク評価」と「リスク管理」をどう切り結ぶかを見せていくのも、科学者会員(役員)の仕事であること。
スケプティクスというのは、そこまで含めての概念であろうと。
別に「強制」しているわけではなく、「リスク管理」への推理を妨げるかのような見解を述べたり、専門外の分野に勝手な「リスク評価」や「リスク管理」をしたりしていることすらあるから、自分の専門の「リスク評価」から、「リスク管理」への道筋を掃き清めろと述べているだけだと。
こういう話題について、有意義な議論が活発に行われるような「オカルト村」であって欲しい。
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